「すでに到達したところを忠実に」(礼拝メッセージ2016/07/31)

あらゆることにおいて大切なのは、目標とそのための過程(プロセス)です。目標がなかったり、見失うと生きている意味がなくなります。また、過程が目標になってしまうとモチベーション(動機付け、意欲の源)がなくなり、最終地点に到達できません。明確で正しい目標があり、そのためのみことばを根拠とした適確な過程が良い結果をもたらします。
ピリピ3章から正しい目標と適確な過程を見てみましょう。

1.私たちの目標
①神の栄冠を得る            (ピリピ3:14)
②再臨のイエス様とお会いする。     (ピリピ3:20)
③栄光の姿に変えられる。        (ピリピ3:21)

2.大人の信仰になる
大人の信仰とは、霊的に十分成長した信仰です。子供の信仰は、ほかから影響を受けやすく、わがままで自己流、状況や感情に流されやすく、安定性を欠いた信仰です。

①信仰義認             (ピリピ3:9)
②信仰の苦しみ           (ピリピ3:10,13)
③現在は過程の中にある。      (ピリピ3:12~14)

パウロとテモテは「自分たちも信仰的にすでに到達して完全になったのではない。神様の栄冠を目指して苦心して前進し続けている。」と言っています。自分にガッカリせず、忍耐を持ってみことばにしっかりと立ち、隣人を励まし祝福できる人になりましょう。

3.適確な過程
みことばは、私たちが現在到達しているところを基準とするように勧めています。そして、それをしっかりと守り、そこからさらに信仰の高嶺を目指して歩んで行くように命じています。このみことばは次の3つのことを示しています。

ただ私たちは、すでに到達したところを忠実に守り、それによって歩きましょう。〈私たちの生活を規制しましょう〉ピリピ 3:16(詳訳)

①神様の恵みによって現在の地点に導いていただいた。
②虚栄や自己卑下することなく、現在を感謝する。
③現在の地点からさらに信仰を深め、前進する。

目標と過程が明示されています。自分自身の生活を規制してみことばに合わせていきましょう。

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