「産みの苦しみにある勝利」(礼拝メッセージ2017/02/19)

「産みの苦しみにある勝利」(ヨハネ16:2~33)

イントロ:世界の秩序が崩壊する中で私たちは生きています。聖書もまた、相対立する2つの世界(神の国とサタンの国)の中に私たちが置かれていると教えています。それでは、私たちはいかに生きるべきなのでしょうか?

(1)新しい自分へと変えられるための、私の「産みの」苦しみ
21節は、男性である主イエス様が経験されてない出産の話を持ち出された面白い記述です。創世記3:16にあるように、陣痛の苦しみは、罪を犯してしまったエバに対する罰でした。その出産の苦しみが新しい命の誕生によって喜びに変わると言われています。陣痛の苦しみは、出産した女性しか経験できないことですが、二度と経験したくない苦しみと言われています。産むほうも生まれるほうも命がけです。これは言葉上の苦しみから喜びになるという感情だけの変化ではありません。天地がひっくり返るような痛みを伴いますが、それが一瞬のうちに最高の喜びへと生まれ変わります。これがいのちの誕生です。

(2)私たちが新しく生み出されるための、主の「産みの苦しみ」
私たちは新しい人になるため、生活パターンを変え、本を読み、様々な助言を受けて色々なことにチャレンジをします。また、自分を変えようとして身も凍えるような冷たい滝に打たれたり、難行苦行に取り組むなど自分を鞭打ちます。
しかし、クリスチャンの救いは、ボーン・アゲン(新生)です。私たちは母親によって一度生まれ、主イエス様によって、もう一度新しく生まれるのです。神様は、主イエス様の苦しみを通して新しい生命を与えて下さいました。それは苦しみを超えて、いのちをも捨ててくださったゆえに与えられたものです。私たちは、それによって生まれ変わることができたのです。

(3)産みの苦しみから生まれる私たちの勝利
33節で、主はすでに世に勝っている。主の勝利とは、輝く姿で、天の軍勢を引き連れて、悪とその勢力を打ちのめし、それを足元に伏させている姿です。しかし、ヨハネの福音書の記者は、主の勝利とは、実に十字架のことを指し示しています。十字架という犯罪人が架かる、みじめで哀れな敗北としか見えない姿ですが、こここそが、クリスチャンの勝利と栄光なのです。
クリスチャンにとって、この世は生きにくいものです。だから、主キリストは艱難(苦難)があると言います。しかし、勇敢でありなさい(勇気を出しなさい)と励ましてくださいます。このお方に信頼して歩もうではありませんか!(藤島昇 兄)

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