「主のさとし」(礼拝メッセージ2017/06/18)

私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。  詩篇119:34~37

ソロモン王は、若くして父ダビデからイスラエルを任されました。その時、神様からほしいものを尋ねられ、民を治める判断力を求めたことが主の御心にかない、判断力に加え富と誉れも与えられました。(Ⅰ列王記3:5~14)
詩篇119篇の作者は、自分の利益よりも主の「さとし」を必死に求めています。「さとし」とは、「諭し:目下の者に、ことの道理を理解できるように言い聞かせてわからせること。教え導くこと。神のおつげ。神託」のことです。
あなたは必死に「主のさとし」=「主の御心の道に歩むことの幸い」を理解させ、その道に歩ませてください。と祈り求めたことがありますか。(詩篇119:25~32、41~48)

主や聖霊様が「今日は礼拝に行くな。早天祈祷会・学び会・祈り会に出席するな。教会での責任は果たさなくても良い。教会の指導者に従うな。隣人に福音を伝えるな。」と、みことばに反することに私たちを導くことはありません。ただ、「目先の利益、不正な利益、むなしいもの」に私たちの心が傾きやすく、知らないうちに、自分でそのように決心しているのです。

1.主のさとしを守る者は幸い(詩篇119:2)
主の御心を行う者がどれほど幸いな者であるかを悟らせていただけたら、どのような逆境の中にあっても、良い結果がすぐに見られなくても、反対する者が多くても、自分の弱さを感じたとしても、主と共に歩んで行くことができます。

2.主の奇しいわざに思いを潜める(詩篇119:37)
この世だけのむなしいもの(富や名誉、享楽的なもの)、サタンが見せる超常現象などよりも、主の偉大さ、主の知恵、被造物のすばらしさ、救いのみわざ、みことばのすばらしさに心を留めることが幸いです。

3.主の義によって生きる(詩篇119:40)
主の「さとし」とは、自己義ではなく主の義によって、信仰によって生きる道です。自己義(律法)によって生きる者は、のろわれるからです。(ガラテヤ3:10)

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