「みことばの衝撃」(礼拝メッセージ2017/12/03)

ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで31年間、王であった。・・・彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。 Ⅱ列王記22: 1,2

ヨシヤ王(BC640-609)は、ユダの王の中で最善の王です。常に主に従っていた王でしたが、宮修理の際に発見された聖書(申命記?)の言葉を聞いた時、自分たちがいかにみことばに従っていなったかを知り、大きな衝撃を受けました。

大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「私は主の宮で律法の書を見つけました。」と言って、・・・そして、シャファンは王の前でそれを読み上げた。王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた。    Ⅱ列王記 22: 8~11

その後、神様との契約を更新し(Ⅱ列王記23:3)、国中の異教的偶像礼拝・自然崇拝(Ⅱ列王記23:4~20)、霊媒・占い(Ⅱ列王記23:24)を取り除き、過越の祭りを回復させました(Ⅱ列王記23:21~23)。ヨシヤは主に従いました。(Ⅱ列王記23:25)

ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。    Ⅱ列王記 23:25

ヨシヤ王は、今まで良い王として歩んできたつもりでしたが、発見されたみことばに触れた時、自分たちの不従順さを痛感して悔い改めました。私たちは、そこまでみことばに飢え渇いて追い求め、主に従うことに対して敏感に応答しているでしょうか。

見よ。その日が来る。・・・実に、主のことばを聞くことのききんである。彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。  アモス 8:11,12

人は主からの悔い改めの促しを拒否し続け、兄姉の励ましを受入れず、罪に惑わされると、心がかたくなになり(ヘブル3:13)、主に心を変えてもらう余地がなくなります(ヘブル12:17)。
しかし、幸いなことに、聖霊様とみことばは、私たちの内にあり、みことばは実行可能なものです。あわれみの主は、みこころを求める私たちを愛をもって導き続けて下さいます。

「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 ローマ 10: 8 (申命記30:11~14)

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