「子どもと私たちを祝福される主イエス」(礼拝メッセージ2017/11/26)

イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。・・・イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。  マルコ 10:13~16

1.聖書的な背景
聖書の時代のイスラエルの人々にとって、子どもは「いまだ完全な人間になってはいない存在」とされていたようです。・・・律法を守ることがまだできない子どもは完全な人間として受け入れられてはいませんでした。

2.主イエスの子ども観=子どもが登場する箇所
・マルコ9:36―イエス・キリストのために、キリストの代わりに子どもを受け入れる者こそ一番偉い。
・マルコ9:42―弱い者をつまづかせ、キリストから引き離すようなことをする者は溺死刑に処せられたほうがよい。

3.子どもを祝福されるイエス様(マルコ10:13~16の平行記事)
マタイ19:13では、「そのときイエスに手をおいて祈っていただくために」子どもが連れてこられた。
ルカ18:15では、触れていただくためにやってきた者たちの中には、乳飲み子も含まれていたと思われます。

4.聖書の祝福の意味
旧約聖書では健康、長寿、子孫繁栄、経済的成功などを祝福と呼んで、目に見える面を強調しているようです。新約聖書では、イエスは貧しい人、泣いている人、迫害される人などを「幸いである(英語ではBlessed)」と呼び、人間の内面を強調しているように思われます。
祝福とは、単に「この世的な幸福や成功」ではなく、困難や苦痛の中でも、そこに神の愛・恵み・導き・慰めを見出すこと。(エペソ1:3)

5.なぜ子どもを祝福するのか?
家父長制度の中で父親は生まれたばかりの子どもを殺害しても犯罪にはなりませんでした。イエス様は弱い立場の者への憐れみを示されます。その代表が子どもなのです。

聖書は私たちをかけがえのない存在としています。家庭においても、ご主人として奥さんとしてなくてはならない存在です。教会もまた、一人一人が各器官にたとえられ、重要で必要であると言います。

・神様の祝福の法則 ・神様が祝福の源 ・神様の言葉に従うことが祝福をもたらす。
・私の祝福が他の人に祝福をもたらす。
・私の祝福は減らず、しかも豊かになって私に戻ってくる。  
(藤島 昇 兄)

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