「永遠のいけにえをささげて後」(礼拝メッセージ2018/04/01)

「わたしはいのちを捨てるために来ました」と言われているのです。キリストは、はるかにすぐれた制度を打ち立てるために、最初の制度を廃止されました。この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。・・・しかしキリストは、いつまでも有効なただ一つのいけにえとして、私たちの罪のためにご自分を神にささげ、そのあと神の右の座について、敵が足の下に踏みつけられるその日を待っておられます。ヘブル10:9,10,12(LB訳)

今日は復活祭・イースターです。イエス様は「いのちを捨てるために来ました」と言われたように、私たちを救い出し、いのちを与えるために苦しみもがき、最後には死なれました。しかし、三日目にはよみがえって下さいました。暗い全人類にこの上ない希望の光が差し込みました。

1.みこころを行うために来られたイエス様

ヘブル10:5~7は詩篇40:6~7の引用です。イエス様は預言されていたとおりに、神様のみこころを行い、私たちを救うためにこの地上に来て下さいました。私たちの罪を聖めるために、神様はいろいろなささげ物ではなく、イエス様ご自身のいのちを要求されました。イエス様に十字架を背負わせて、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩かせ、十字架上でいのちを捨てさせる必要がありました。

2.キリストは、罪のために永遠のいけにえをささげられた

イエス様は、私たちの罪のために永遠に有効な唯一のいけにえとして、ご自身を神様にささげて下さいました。

さらに聖霊様は、こうも言われます。「わたしは、二度と彼らの罪と不法行為を思い出しません。」ヘブル10:17(LB訳)(エレミヤ31:34)

この新しいいのちに至る道は、キリスト様が、ご自分の体という幕を引き裂くことによって、切り開いてくださいました。私たちはこの道を通って、きよい神様の前に出ることができるのです。ヘブル10:20(LB訳)

その後、神の右の座に着かれた

イエス様が「神の右の座に着かれた」とは、復活したことを表わしています。霊として復活したのではなく、栄光の肉体をもってよみがえられ、天に帰られました。復活のイエス様は、魚を食べたり、十字架の傷口に触れさせることもできました。イエス様の復活は、サタン・悪霊・死・罪に対する勝利であり、救いの確証であり、天国の希望です。そして、私たち一人ひとりの勝利であり、復活です。(Ⅰコリント15:12~19)

キリスト様は、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、葬られたこと、そして預言者たちの予告通りに、三日目に墓の中から復活されたことです。キリスト様はペテロに姿を現わし、・・・そしてある時には、五百人以上のクリスチャンの前にも、姿をお見せになったのです。その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。・・・そして最後に、未熟児みたいな私の前にも現われてくださったのです。                        Ⅰコリント15:3~8(LB訳)