母の日の起源は「1907年5月12日、アンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った」こととされています。今日は、波瀾万丈の生涯でしたが、幸せなイエス様の母マリアについて見ていきましょう。
1.救い主の母
マリアは、受胎告知から始まり、処女懐妊、エリサベツとの交流、出産・育児、生活の中で、イエス様の不思議さとすばらしさを見ました。マリアの祈りは信仰告白でした(ルカ1:46~)。
しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。ルカ2:50,51(2:19)
2.不信仰
マリアは、イエス様のすばらしさを見ながらも、不信仰に陥ることがありました。人々のうわさを真に受けて、イエス様を疑ってしまいました。
これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。マルコ 3:21
3.心が刺し貫かれる経験
イエス様がまだ幼児の時に、愛するわが子のむごい死を宣告され、実際に十字架の前でそれを経験することになりました。
シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がるために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。・・・ ルカ 2:34,35
イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、・・・が立っていた。イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、・・・その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。ヨハネ 19:25~27
4.信仰の人マリア
彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。 使徒 1:14
聖書でマリアの名前が出てくるのはこの箇所が最後です。つらい経験をしたマリアでしたが、信仰の人として記されています。カトリックが教えるマリア崇拝(マリアの無原罪、神と人との仲介者)は、聖書にはありません。彼女もイエス様を信じることによって救われる(ルカ1:46~)ひとりの人です。イエス様は最後まで母マリアを心配し大切に思っていました。
もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。Ⅰテモテ 5: 8(エペソ6:2,3)