「神様を愛するとは」(礼拝メッセージ2018/05/06)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、(当然)互いに愛し合うべきです。 Ⅰヨハネ 4:10,11

人間は罪に陥り自己中心になって「真の愛」を失ってしまいました。罪に支配されてしまった人間が、偉大にして聖なる創造主である神様を愛するなどという大それたことができるのでしょうか。
実は、それを可能にして下さったのが、救い主イエス様の尊い救いと助け主聖霊様の愛とあわれみの聖化のみ業です。

1.神様が私たちを愛して下さった

私たちは「愛」について、創造主である神様から実例を示していただかなければ、「真の愛」がどのようなものなのかを知ることはできません。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって、私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。 Ⅰヨハネ 4: 9

2.神様を愛する

神様を愛するとは、神様の命令を守ることです。神様の言うことを聞かず、逆らっている者が愛している訳がありません。主イエス様が与えて下さる、自分にふさわしい重荷を主イエス様と共に負うことが幸いな道です。

神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。 Ⅰヨハネ 5: 3(マタイ11:28~30)

3.互いに愛し合いなさい

神様を愛するもう一つの方法は、教会の兄弟姉妹を愛することです。なぜなら、その兄弟姉妹自身が生きているのではなく、イエス様がその人の内に生きておられるからです。
教会の兄弟姉妹を憎んでいる人は、神様を知らず、神様を愛していません。人々は、兄弟姉妹の親しい交わりの姿に神様を見出します。

いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 Ⅰヨハネ 4:12(5: 1,2)

神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。 Ⅰヨハネ 4:20,21

互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」ヨハネ13:35

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