「主イエスは、私たちの背きの罪ゆえに」(礼拝メッセージ2018/07/29)

この主イエスは、私たちの罪のために、裏切られて殺され、私たちの義認〈無罪放免〉を獲得するため《私たちを神の前においてすべての罪責から赦免することによって私たちの計算書を不足なしにするため》、よみがえらせられたのです。ローマ人への手紙 4:25(詳訳)

1.イエス様の死
天地の造り主・全能者・主権者・裁き主・神であられるイエス様が人となってこの世に来られたこと、33年の生涯を歩まれたこと、人々に裏切られ苦しみを受けられたこと、最後は十字架で死なれたこと、これら全ては私たちの罪のために行われたことでした。

しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい。それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。  イザヤ 53:5,6

2.イエス様のよみがえり
死んで葬られたイエス様は、私たちの罪を消し去り、私たちの神様に対する罪責・負債・不足をすべて無くして関係を回復させて、恵みを受けられるようにするためによみがえられました。イエス様のよみがえりは、サタン・悪霊・罪に対する勝利です。

いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。コロサイ 2:14

3.父なる神様の主権とイエス様の服従
イエス様は「殺され」「よみがえらせられ」ました。ご自身の意思ではなく、全面的にご自分を捨てて、父なる神様のご計画にすべてを任せられました。父なる神様とイエス様の御思いは、「私たちを罪から救う」この一点に集中していました。ここに神様の愛があります。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。   Ⅰヨハネ4:10
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。  ヨハネ 6:38

4.私の歩みに神様のみこころがなりますように

父なる神様とイエス様の愛は計り知れません。私たちはどれほど愛されていることでしょうか。世界中の者が敵になっても、天地が滅び失せても、神様の愛は変わりません。私たちが自分の利益や満足のためではなく「神様のみこころがなりますように」と祈り求める生き方は、最も幸いです。

キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。Ⅱコリント 5:15(Ⅰヨハネ2:15~17)

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