あなたたちのために、きょう、ダビデの町に救い主がお生まれになった。そのかたこそ主なるキリスト〈メシヤ〉である。
あなたたちは、布にくるまって、飼い葉おけの中に寝かされているみどりごを捜し当てる。それが、あなたたちのためのしるしである〔それによって、あなたたちが彼を認めるのである〕」。 ルカ 2:11,12(詳訳)
主の御使いが主の栄光の光とともに、野宿をしている羊飼いたちのそばに立って、すべての人のために来られた救い主の誕生を知らせました。
1.飼い葉桶に寝ている赤ちゃん
イエス様の時代とは言え、赤ちゃんを飼い葉桶に寝かせる人はいません。普通は暖かく柔らかい寝床に寝かせるでしょう。神様は、突拍子もないやり方を示して、羊飼いたちが迷わないで、すべての人々のためにお生まれになった救い主イエス様を知ることができるようにして下さいました。
私たちも聖書を通して、預言の成就や誕生と生涯の特異さがしるしとなって、イエス様が唯一の救い主であることを知りました。
2.個人的にイエス様を見つける
しかし「救い主イエス様はみんなを救うために誕生して下さった。」と、一般論として捉えているならば、救い主イエス様を見つけたことにはなりません。イエス様と一対一で出会う必要があります。
ペテロは言った、「あなたに私の足を洗っていただくことは断じてしません」。イエスは答えられた、「もし私が洗わないなら、あなたは私と何の関係もない〈わたしとの交わりにあずかっていない〉〔わたしに結びついた者ではない〕」。 ヨハネ13:8(詳訳)(ヘブル10:22)
3.個人的にイエス様と歩む
私たちは、イエス様を自分自身の救い主として信じ、受け入れ、愛しています。人との比較や優劣、人と歩調を合わせるのではなく、イエス様をいつも共にいて下さる人生の伴走者として信頼しています。
愛する兄弟姉妹は、互いに愛するため、仕え合うため、死ぬために存在しています。愛とやさしさとあわれみに満ち、慰め、励ましてくれます。しかし、ひとりで信仰の試練に立ち向かわなければならない時や、ひとりでイエス様と向き合わなければならない時もあります。
イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、・・・心を痛めてイエスに言った。「主よ、・・・あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」・・・イエスは、・・・ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」・・・ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。イエスはペテロに言われた。「・・・あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」 ヨハネ 21:17~22