「わたしがともにいる」(礼拝メッセージ2019/05/05)

「心配するな。わたしがついている。おまえを遣わしたのが私だという証拠に、必ずおまえといっしょにいよう。」 出エジプト記 3:12(LB訳)

ヤコブの息子ヨセフがエジプトに売られて後、夢の解き明かしによって宰相になり、飢饉で苦しむイスラエル一族をエジプトに呼び寄せました。その後、イスラエル民族は400年間奴隷状態(創世記15:13~16)にありました。神様は助けを求める彼らの叫び声を聞き、苦しみから解放して乳と蜜の流れる約束の地カナンへ導こうとしました。そのためにモーセを救済者として召し出しますが、モーセは不安を覚えて躊躇しました。

1.モーセの不安

モーセは、同胞もエジプトも自分が神様から遣わされたことを信じないだろうし、自分は口べただからだれかほかの人にして下さいと神様の召しを拒否しました(出エジプト4:1~17)。
モーセは、エジプト・ファラオの強大さを知っていたので、その国に立ち向かうことに恐れを覚えたことでしょう。また、自分は同胞が苦しむエジプトから遠く離れ、ミデアンの地で羊を飼い、結婚して子供を儲けたので、平穏で安定した幸せな生活を失いたくなかったのだと思います。

2.神様のしるし
神様は、躊躇するモーセに対して、「わたしが、あなたとともにいる」この約束がしるしだと言われました。後に様々な奇蹟(9つの災いと初子の死、出エジプト7:14~12:36)がモーセの手を通して行われましたが、モーセは「神様がともにいて下さる」というみことばに信頼して、困難な働きに進んで行きました(出エジプト 5:1~3)。
モーセは神様の約束を信じて同胞を解放しようとファラオと対決しますが、事は順調には進みません。ファラオが頑なになってかえって同胞の苦しみが増し、同胞からも恨まれてしまいました(出エジプト 5:4~23)。この対決は1年にわたって繰り広げられました。しかし、神様のみこころは、ファラオの頑なさを通して、イスラエル、エジプト、世界中に「主こそ神様である」ことを知らしめることでした(出エジプト 6:7,7:5)。

3.ともにおられるイエス様

私たちは、モーセを意気地なしと非難することはできません。私たちもイエス様に従おうとする時、召しに応えて使命を全うしようとする時、順調に歩みを進めている時、大きな不安に襲われたりします。

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。マタイ 18:20

そんな時、イエス様の約束・みことばの約束を信じて進みましょう。私たちのために十字架で死んでよみがえって下さったお方、イエス様の名前は「神が私たちとともにおられる」という意味です(マタイ1:23)。

見よ。私はいつも〈継続して、同じように、また、どんな場合にも〉世の集結〈完結〉〔結末〕まであなたたちとともにいる。」アーメン     マタイ 28:20(詳訳)