「私は主に逆らった」(礼拝メッセージ2019/12/08)

「哀歌」は、神の都エルサレムがバビロン軍によって焼き払われ、神の宮が滅ぼされ、人々が捕囚となった悲しみを謳ったものです。これは、単にエルサレムの滅亡と捕囚を悲しむ以上に、神様に反逆した報いとして、どれほど恐ろしい代価を払わなければならないかを、人々に知らせるものです。作者はエレミヤと言われています。この詩は、BC587、AD70のエルサレム滅亡を覚えるために、現在でもユダヤ人の会堂で朗読されています。

1.主への逆らい
神様に愛され、世界一美しいとされたエルサレムは、神様を捨てて律法に逆らい、罪に罪を重ね、硫黄の火によって滅ぼされたソドムよりも堕落してしまいました。難攻不落とされた町は、神様の怒りの前にはひとたまりもなく、廃墟と化してしまいました。

エルサレムは罪に罪を重ねた。汚らわしいものとなった。 哀歌 1:8
主は、敵のようになって、イスラエルを呑み込まれた。  哀歌 2:5

預言者エレミヤは、エルサレムと同胞の惨状を見て涙を流しました。

ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、娘である私の民の殺される者たちのために昼も夜も、泣こうものを。  エレミヤ 9:1

2.悔い改めと赦し
私の苦しみとさすらいの思い出は、苦ヨモギと苦味だけ。・・・それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。・・・主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。・・・人が、若いときに、くびきを負うのは良い。・・・十分に恥辱を受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。 哀歌 3:19~33
自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。  哀歌 3:40

ユダの人々は、エルサレム陥落と異国への捕囚を経験して、ようやく神様の愛と恵みと祝福のすばらしさに気が付き、神様に対する罪を痛感して悔い改めました。私たちもかつては神様に敵対する者でした。しかし、イエス様の十字架と復活によって、神様との和解をいただきました。

敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。 ローマ 5:8~11(コロサイ1:21~23)

3.永遠の王座の希望
主よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、あなたの王座は世々に続きます。・・・主よ、あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。・・・私たちの日々を新しくしてください。哀歌5:19~22

エレミヤは、エルサレム崩壊の惨状の中から赦しと回復を嘆願します。エルサレムは捕囚後に再建されますが、イエス様を拒否し、その後ローマ軍によって破壊されます。エレミヤは神様の永遠の主権と御国を仰ぎ見ています。

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。 Ⅱペテロ 1:11