ハバククはエレミヤと同時代の預言者です。彼の人物像は不明ですが、書の最後に「指揮者のために、弦楽器に合わせて。」とあることから聖歌隊員ではないかと考えられています。彼の預言は、BC587のバビロンによる南王国ユダのエルサレム滅亡直前のものと言われ、ユダ王国指導者の罪、敵国バビロンへのさばき、喜びと勝利の信仰についてです。
1.ハバククの疑問
なぜ、あなたは私に不法を見させ、苦悩を眺めておられるのですか。暴行と暴虐が私のそばにあり、・・・。ハバクク 1:3
①神様はなぜ国民を虐げる指導者を栄えさせているのか。
②神様はなぜユダ王国をバビロンの手に渡されるのか。
③神様はなぜ邪悪なバビロンの存在を許されるのか。
2.神様の答え
こうして、風のようにやって来て過ぎ去る。しかし自分の力を神とする者は、責めを負う。」ハバクク1:11
その者は、もの言わぬ偽りの神々を造ったのだ。わざわいだ。木に向かって目を覚ませと言い、黙っている石に起きろと言う者。ハバクク2:18,19
主は幻によってハバククに答えられました。「すべての者は主によって正しくさばかれる。自分の力を神とする者、略奪・暴虐を行う者、不正な利得を貪る者、偶像を造る者、神々に頼る者はわざわいを被る。」と。
主はここで最も大切なことば「義人は信仰によって生きる。」すなわち、救いの原則「信仰義認」を示されました。
正しい人はその信仰によって生きる。」ハバクク2:4(ローマ1:17、ガラテヤ3:11、へブル10:38)
3.喜びと勝利の信仰
主よ、私はあなたのうわさを聞きました。主よ、あなたのみわざを恐れています。・・・その威光は天をおおい、その賛美は地に満ちている。・・・しかし、その道筋は永遠だ。ハバクク 3:2~6
ハバククは主の答えに霊の目が開かれました。創造主であり裁き主である主の偉大さ、自分の存在の小ささ、自分の理解の足りなさを痛感し、不法の蔓延、邪悪な敵国の台頭、エルサレムの崩壊のような暗黒時代の中にあっても、信仰によって生きるすばらしさ、主と共に歩むすばらしさを見出しました。主は困難な中でも忍耐によって成長する信仰、喜びと勝利の信仰を与えて下さいます。困難な時こそ互いに励まし合いましょう。
いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、・・・しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。私の主、神は、わたしの力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。ハバクク 3:17~19(Ⅰテモテ6:17~19)
・・・神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。それだけでなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、・・・私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 ローマ5:2~5(ヤコブ1:2~4、ピリピ4:10~19)