マルコの福音書は、ペテロの弟子である青年マルコによってAD50年代前半に書かれました。福音書の中で最も短く、最初に書かれたとされています。ローマ人(異邦人)を対象として書かれ、教えよりもイエス様の行動が簡潔、明快、単純、躍動的に描かれています(山上の垂訓、長い説教の大部分が省略されています)。
イエス様が人々に仕え、人々を救うためにご自分のいのちを与えられた「しもべ」であることを主題としています。
1.人々に仕えられたイエス様
マルコの福音書は、マタイやルカの福音書と違いイエス様の系図や誕生の記事を省き、バプテスマのヨハネの記事から始まっており、イザヤによって預言された、荒野で叫ぶ声であるヨハネが宣べ伝えたイエス様こそメシヤであり神の子であることを示しています。
マルコは、「すると、すぐに、さっそく」などのことばを多用してイエス様の行動といやし(奇蹟)を次々に紹介していきます。マルコだけが記しているいやしの記事もあります。イエス様のいやしの奇跡は、イエス様が人々に仕えるメシヤであることを現しています。
イエスは、様々な病気にかかっている多くの人を癒された。マルコ 1:34
1)耳と口が不自由な人のいやし マルコ 7:31~37
2)ベツサイダの盲人のいやし マルコ 8:22~26
3)ヤイロの娘の生き返り マルコ 5:22~24,38~42
2.自分のいのちを与えられたイエス様
イエス様は、父なる神様のみこころを完全に行い、徹底的に人々に仕えるしもべとなってくださいました。徹底的とは、ご自分のいのちまでも私たちにくださったということです。私たちを罪から救うためにご自分のいのちで身代金を払ってくださいました。
人の子でさえも、仕えられるためではなくて仕えるために、また、多くの人の〈代わりになる〉ための身のしろ金として自分のいのちを与えるために来たからである。」マルコ 10:45(詳訳)
天地の主であり神様であるイエス様でさえ、人々に仕えるために来たのだから、私たちはなおさらのこと、兄弟姉妹のしもべになるように命じられています。ピリピ2章では「利己的な思いや虚栄ではなく、兄弟姉妹を顧みる」ように命じられています。今は、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を保つように勧められていますが、主イエス様と兄弟姉妹から心が離れてしまい、仕えること、しもべとなることを忘れないようにしましょう。
・・・キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。・・・キリストは、神の御姿であられるのに、・・・ご自分を空しくして、しもべの姿を取り、・・・自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われたのです。 ピリピ 2:1~8