ヨハネの福音書は紀元90年頃書かれたもので、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)と共通する記事が1割に満たない独自の内容となっています。共観福音書はイエス様の行動と話されたことが記録されていますが、ヨハネの福音書の主眼はイエス様の説教と対話とそれらの解釈です。ヨハネはイエス様こそ神様のひとり子であり、救い主であることを説明しています。
著者のヨハネは、漁師出身でイエス様から「雷の子」とあだ名をつけられるほど気性の荒い人でしたが、後に「イエスが愛された弟子」「愛の使徒」と呼ばれました。ペテロ、ヤコブと共に内弟子と目され、イエス様が十字架に付けられた時は十二弟子の内唯一最後まで残り、母マリアを託されました。ヨハネは福音書のほかに三書簡と黙示録を記しました。ヨハネはドミチアヌス帝の迫害の時パトモス島に流刑になりましたが、十二弟子の内唯一殉教せずにエペソで天寿(94歳)を全うしたと言われています。
1.ことばとは何か
初めに〔天地の初めに、すでに〕ことば〔キリスト〕がおられた。ことばは神とともにおられた。ことばは神ご自身であられた。このかたは初めに神とともにおられた。すべてのものは彼によって〈を通して〉つくられた〈存在するに至った〉。存在しているもので、彼によらないでつくられたものは何一つない。彼にいのちがあった。そのいのちは人の光であった。 ヨハネ 1:1~4(詳訳)
「ことば:ロゴス(ギリシャ語)」は「理性、論証、真理」の意味があり「ミュトス(ギリシャ語):空想、物語」と対比されます。ヨハネの福音書では、「ことば」はイエス・キリストであり、神・創造主・永遠より存在した人格であると説明しています。
2.ことばは人となって、私たちの間に住まわれた
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。 Ⅰヨハネ 1:1,2
神様のことばであるイエス様は、天地の創造主でありながら、その栄光を捨てて人となり、私たちと同じ人生を歩んでくださいました。とても不思議で恐れ多いことですが、私たちを罪から救うためにへりくだってくださいました。イエス様は神様を私たちに示してくださる「ことば」です。
3.ヨハネが切望していること
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。 ヨハネ 20:31
ヨハネが福音書を記した目的はとても明確です。すべての人が、イエス様が救い主であることを信じて救われ、永遠のいのちを獲得し、日々悔い改めていのちに満ち溢れた人生を送るためです。
わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。・・・それを守り、悔い改めなさい。 黙示録 3:1~3