「コリント人への手紙」はパウロによって、AD57年頃の春に第1の手紙、冬に第2の手紙が書かれました。コリントはギリシアでも有数の都市、交通の要衝であり、偶像の神殿が数多く建てられた富と快楽の町でした。 コリントの教会には分裂、近親相姦、会員同士の訴訟事件、自由の濫用、礼拝での混乱、結婚・独身、偶像にささげた食物、女性の地位、聖霊の賜物、死者の復活など、多くの問題がありました。
1.コリント教会の無秩序
繁栄と快楽の町コリントにあった教会には、様々な人間的思考や言動が蔓延していて、みことばの教えや神様が立てた秩序は軽視されていました。パウロはイエス様の命令でもあり教会の本質である、みことばの教えを守り行うことと兄弟姉妹の一致を強く命じました。すべての問題は教えと一致を軽視するところから始まります。
さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。 Ⅰコリント 1:10
2.賞を得るために
・・・あなたがたも賞を得られるように走りなさい。・・・私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。むしろ、私は自分の体を打ちたたいて服従させます。ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者にならないようにするためです。 Ⅰコリント 9:24~27
パウロは、コリントの兄弟姉妹に対して、この世と調子を合わせて同じような生き方をするのではなく、天に目標を定めた無駄のない的確な歩み方をするように勧めています。それは、充実した人生を約束する処世術でも、お勧めの生き方でもありません。すべての人の永遠の祝福とさばきにつながる現実的な問題です。
3.自分ではなく他の人を喜ばせる
ユダヤ人にもギリシア人にも神の教会にもつまずき〔を与えて、妨げ〕になることのないようにしなさい〈あなたがたの生活のしかたによって、他の人を罪に陥らせてはなりません〉。私もまた、私のするあらゆる事において、すべての人〔に自分を順応させて、彼ら〕を喜ばせること〈他の人々の意見、希望、利益に自分自身を適応させること〉に努めており、多くの人々が救われるために、自分自身の利益〈便宜〉を目当てにしないで〈考えないで〉、彼らの利益を目当てにしているのです。Ⅰコリント10:32,33(詳訳)
パウロは「計り知れない栄光に富んでおられたイエス様は、へりくだられてしもべとなり、十字架の死にまで従われました。ご自分ではなく父なる神様と私たちを喜ばせるためにご自身を捨てられました。そうであれば、無に等しい私たちが主と隣人に仕えさせていただき、主と隣人を喜ばせるためにへりくだってしもべとなることは当然のことです。」と教えます。
キリストは、・・・ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。・・・十字架の死にまで従われました。ピリピ 2:3~11