「信仰と律法の成就」(礼拝メッセージ2020/09/06)


兄弟たちよ、もしだれかが何かのあやまち<罪>に陥ったならば、〈聖〉霊の人〈聖霊に応答し聖霊に支配されている人々〉であるあなたがたは、自分もまた誘惑されることのないように自分自身に注意深く目を留めることをやめないで、少しの優越感も持たないで〈柔和の限りを尽くして〉、その人を正しくする〈引き戻す〈元どおりにする〉ことをしなければなりません。ガラテヤ 6:1(詳訳)

ガラテヤ地方諸教会の兄弟姉妹たちは、ユダヤ主義者の偽りの教えによって、信仰ではなく律法遵守と自助努力による義を追及してしまいました。パウロは、その信仰姿勢の根本的な間違いを指摘し、律法・肉・罪の奴隷になるのではなく、キリストにある自由・信仰による義・信仰による律法の成就を教えました。

1.信仰による律法の成就
お互いの重荷〈煩わしい道徳上の失敗〉を負い合い〈耐え合い、にない合って〉、そのようにしてキリスト〈メシヤ〉の律法を成就しなさい〈完全に実行しなさい〉〈〔キリストの律法に対するあなたがたの服従において〕欠けているところを完全にしなさい〉。ガラテヤ 6:2(詳訳)

律法主義は、傲慢と軽蔑、自己満足と自己卑下しかもたらしません。律法を重んじているようで、実のところ律法に反し、律法の要求から遠ざかっています。相手の失敗を自分がへりくだって被ることが、律法を成就することです。

2.うわべだけの謙遜に潜む高慢
もしだれかが〔自分でそう思っているだけで、実は何も人にすぐれたところのない〕取るに足らない人間でありながら、自分をひとかどの人物〔として、自分は重要な人物であるから他人の重荷に手を貸すほどに低くなることはできない〕と思っているならば、その人は自分自身を欺いて〈だまして〈ごまかして〉いるのです。ガラテヤ 6:3(詳訳)

「私は人を助けるほど力のある者ではない、なぜ私があの人の重荷を担わなければならないのか」と、私たちは、人を生かし、人のために自分が損をすることを暗に嫌がるものです。しかし、それは神でありながら人となられて十字架の死にまで従われたイエス様のへりくだりとは真逆の態度です。

3.特に信仰の家族に
それですから、私たちは機会〈好機〉が与えられるときはいつでも、あらゆる人に対して〈道徳的に〉善い事をしましょう〔彼らに対して、ただ単に役にたつ、利益となる、だけでなく、その人々の魂のために良い事また益になる事を行いましょう〕。特に信仰の家の人々〈あなたがたといっしょに神の家族に属している人々、信者たち〉のために〔祝福となるように心がけなさい〕。ガラテヤ 6:10(詳訳)

思いやりの心と行為は、自分と相手の心身を健康にします。神様は、私たちと兄弟姉妹と隣人が健康で幸いであるように願っておられます。

あなたの手に善を行う力があるとき、受けるべき者にそれを控えてはならない。箴言 3:27