「律法か信仰か」(礼拝メッセージ2020/08/30)


ガラテヤ人への手紙は、パウロおよび一緒にいる兄弟たちから、ガラテヤ地方(現在のトルコの中央部)の諸教会に宛てて、AD47年頃に書かれた手紙です。新約聖書の手紙の中で最初に書かれた手紙です。
これらの諸教会はパウロの開拓伝道によって立てられましたが、後に入り込んで来たユダヤ人教師たちの偽りの教えによって、危機的状況にありました。パウロはその信仰の危機を指摘し、自らの使徒職弁明、信仰義認の論証、キリストにある自由、御霊の実、キリストの律法について書き送りました。

1.パウロの弁明
人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。 ガラテヤ 2:16

入り込んで来たユダヤ人教師たちは、パウロが宣べ伝えた信仰による救いではなく、異邦人もかつてのユダヤ人のように割礼を受けて律法を守らなければ救われないと教えていました。パウロはそのような偽の福音を伝える者は呪われると厳しく戒めました(ガラテヤ 1:8,9)。さらに、かつて自分自身が律法に厳格なユダヤ主義者として教会を迫害するほどであったが、復活のイエス様にお会いして、行いではない信仰による本当の救いを受けたこと、使徒とされたことを証ししました(ガラテヤ 1:11~24)。

2.人はなぜ律法が好きなのか
人はなぜ一見厳しくて窮屈そうな律法主義に陥りやすいのでしょうか。
3つの理由が考えられます。

1)安易な道だから:外見的、形式的に守っていれば人からとやかく言われず、人目に良く見える。
2)人を裁きたいから:自分が外見上守っていれば優越感を持って人を見下すことができる。
3)神様に服従したくないから:心から神様に従っていなくても、従っているように見え、自分が律法を守っているというプライドを持って自己中心で生きられる。

3.肉によっては完成しない
あなたがたはそんなにもばかな〈分別のない〈愚かな〉のですか。〈聖〉霊によって〔新しい生活を霊的に〕始めたのに、今、肉に〔より頼んで〕完全に到達しようとするのですか。ガラテヤ 3:3 (詳訳)

パウロはガラテヤの兄弟姉妹に対して「愚かなガラテヤ人」(ガラテヤ3:1)と呼びかけます。あんなにはっきりと十字架上のイエス様を教え、自分たちもはっきりと救い主イエス様を霊の目で捉えて救いを確信したのに、なぜ、あっさりとイエス様を捨ててしまったのか、なぜ、聖霊様によって始まった信仰の歩みを自分の努力・肉の力で完成させようとしているのか。パウロは、救いとクリスチャン生活の基本中の基本である「信仰義認」を改めて教えています。

律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。ローマ 3:20