ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。 Ⅰコリント 2: 12
なんと私たちはすばらしい恵みと賜物をいただいていることでしょうか。イエス様による罪の赦し、永遠の命、真実な愛、大きな憐れみ、生きる力、みことば(聖書)など様々な良きものをいただいています。
これらすべて霊的なことを理解させ、信じさせてくださるのは聖霊様の働きです。そして、「神様の御霊、聖霊様」ご自身をも賜物としていただいています。この世の霊をいただいたのではありません。この世の霊は、神様に逆らい、良いものと見せかけながら悪い道に誘うものです。それは、目先だけの利益を追求する価値観です。
こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。
そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。 Ⅱコリント 4: 1~5
イエス様はあなたに憐れみをかけて主の働きに任命してくださいました。主の働きとは、イエス様のすばらしさを現すことであり、福音を通して人々を救いに導くことです。サタン・悪霊・罪が不信者の思いをくらましているのは、クリスチャンが神の前にも人々の前にも聡明に歩んでいる時だけです。私たちの不誠実によって福音を曇らせないようにしましょう。悪を捨ててみことばをまっすぐに伝えましょう。そうすればイエス様のためにあなたが仕えるべき人が示されるでしょう。イエス様に心から求めましょう。
「しかし、もし私たちが神様に100%とらえられていなければ、この世に何を示すことができるでしょうか。私たちの人生のほんの少ししか神様のものがないとするなら、どうなるでしょう。多くのクリスチャンがテレビの前でたくさんの時間を過ごしています。私たちクリスチャンがテレビばかり見ていたら、何を与えることができますか。私たちは、自分が見ているものを人にも与えてしまうのです。
神様の前にひざまづき求めるなら、主からいただいたものを分かち合うことができます。私たちは、神様の臨在を運ぶことができるのです。人々が私たちと話す時、彼らは神様によって引き上げられていくでしょう。ですから、あなたの100%を神様に捧げることが必要なのです。」
(『Revival Japan』2011.2.6 デイヴィッド・モハン師)
クリスチャンが聖書を読まず、祈らず、教会の交わりにも集わず、この世にどっぷり浸っていたら、神様のすばらしさを分かち合うことができるでしょうか。「イエス様から聖書を通して教えられたい、祈りによって親しく歩みたい、兄弟姉妹に仕えたい。主よ、求めます。」と叫ぶなら主は喜んで与えてくださいます。