私たちに神様のみことばが与えられているということは、本当にうれしいことです。私たちに真理を示し、歩むべき道を正しく教えてくれるからです。もし、みことばが与えられていなければ荒海の小船のように波に翻弄されて難破し沈んでしまうことでしょう。
しかし、せっかくみことばが与えられていても、神様からの誤りのないおことばとしていつも親しみ、信じて従っていなければ何にもなりません。
ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
悪魔に機会を与えないようにしなさい。
盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
神の聖霊を悲しませてはいけません。 エペソ4:25~30
悪魔はいつも私たちの心を見て、機会をうかがっています。わたしたちの判断することや動機、言動をさぐっています。兄弟姉妹間での不誠実、激高、盗み(主への返金・献金を渋る心)、悪口、聖霊様を悲しませることなど、悪魔に機会を与えないようにしましょう。
悪魔に機会を与えてしまうとそれを足がかりとして私たちの心を支配しようと土足で乗り込んできます。それは、次のようなことを招いてしまいます。
「今は、最も困難な時代ですから、サタンに機会を与えるとすぐに高ぶり、イエス様よりも偉くなり、みことばに従わなくなり、教会(集まり、指導)を軽んじても何とも思わず、自分のやりたい事だけに関心を持って、信仰の破船に会い、苦い根に悩まされて、神の恵みから落ちて未信者と全く変わらない者へとなります。」
(『ハーベストチャーチ週報』2011.1.16)
それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 箴言 4:21~23
私たちは、自分自身の心をしっかりと見張っている必要があります。避け所は、イエス様です。どんな時でもイエス様に助けを求めて叫びましょう。聖霊様が慰めと励ましと歩むべき道を教えてくださいます。