聖霊様の賜物(2011/1/16礼拝メッセージ)

 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
 ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。
 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。         Ⅰコリント 12: 1~3

 賜物とは「恩恵や祝福として与えられたもの。」です。
 聖霊様が恩恵としてまず与えてくださるものは、「イエス様を信じる信仰」です。私たち一人ひとりも聖霊様から恩恵をいただいて、イエス様を信じることができました。心から感謝しましょう。
 その人が、イエス様を自分自身の主としているか、イエス様の言いなりになっているか、みことばを信じて従っているかで信仰の賜物をいただいているかが分ります。
 

 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。  Ⅰコリント 12: 8~11

 聖霊様の働きは調和のとれたものです。兄弟姉妹の益となるように、聖霊様が賜物を分け与えておられるからです。そこにはみことばから逸脱したものや聖書の秩序を乱すものはありません。イエス様を頭とした体とは教会のことです。その体も聖霊様によって調和がとれています。

 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。                  Ⅰコリント 12:25~27

 イエス様の御体である教会も互いにいたわり合うことによって一個の体として存在できます。
 あなたは、このみことばを信じていますか。自分自身がイエス様の体の一器官であることを信じて感謝していますか。
 あの兄弟も、あの姉妹も同じイエス様の体の一器官であることを信じて感謝していますか。
 このみことばを信じていない人は、兄弟姉妹に関係なく行動し、兄弟姉妹の苦しみや喜びに全く関心がありません。
 本当のイエス様の体の一部分であれば、ほかの器官が益となるようにいたわり合います。
 私たちは、それぞれ互いに仕え合うために救われ、賜物や働きが与えられたのです。

 13章にはさらに優れた道が示されています。それは「愛」です。すべて「愛」から出ていなければ、優れた賜物も意味を持ちません。

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