雪が解け、ネコヤナギが芽吹き、マガンがウトナイ湖に集まって北に帰って行く。またまた春がやってきました。変わらない自然の営みです。
日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。 伝道者の書 1: 5~7
伝道者の書の著者であるソロモンは、神様から知恵を与えられましたが、その知恵が災いして(?)神様のない人生の空しさを実感しました。
1.自然界と歴史の繰返し
2.知識と知恵
3.快楽
4.事業
私は、天の下で行なわれるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。
私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。 伝道者の書 1:13,14
私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことか。笑いか。ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。 伝道者の書 2: 1,2
しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。 伝道者の書 2:11
あなたは空しさを感じていませんか。イエス様に救っていただいたのに「イエス様なき歩み」をしていませんか。イエス様の与えてくださっている祝福と約束をしっかり握りましょう。
あなたもわたしも、みなイエス様のさばきの座に立つことになります。イエス様に自分自身の罪を赦していただいて、へりくだってイエス様から与えられているこの世での使命をまっとうしましょう。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。
太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。 伝道者の書 12: 1 ,2
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
伝道者の書 12:13, 14
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。
そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。 Ⅱコリント 5: 7~10