ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」 ルカ 13: 1~7
イエス様が「神様と和解しなければ、最後に裁かれます」と言われた直後にこの報告がなされました。
過越しの祭りの際、ガリラヤ人たちが騒ぎに乗じて不穏な動きをして総督ピラト(ローマ軍)に虐殺されました。そのような祭壇の場で殺されたので人々は彼らのことをひどく罪深い人と考えていたようです。
シロアムの塔の倒壊事故では、18人の人が犠牲となりました。
どちらにしても「自分は人よりも良い人間で、災難に遭った人たちは自分より罪深い人だと考えてはいけない。すべての人は神様と和解しなさい。」とイエス様は言われます。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」 ヨハネ 9:1~5
イエス様は、生まれつきの障害についても、本人や親のせいではないと言われました。
すべて神様のみこころが行なわれ、神様の栄光が現れるためです。
私たちは物事を簡略的に考えてしまいやすいものです。しかし、私たちはみな等しく罪人であり、裁かれるべき存在でした。ただ、イエス様の深い憐れみをいただいて救われました。
私たち人間には、様々発生する事象の本当の理由はわからない場合が多いです。
しかし、そこにすべてを支配しておられるイエス様のご計画と愛が示されていると信じます。