今日は「イエス様のたとえ話」です。イエス様は人々に御国の福音を教える時にたくさんのたとえ話を用いられました。当時は録音のためのボイスメモなどがなかったので、御国や救いの真理を普段の生活にあてはめることによって、理解しやすく記憶に残る手法が用いられました。たとえ話は福音書全体で40ほどあります。
1.新しい布と古い衣のたとえ話
・・・「だれも、新しい衣から布切れを引き裂いて、古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、新しい衣から取った布切れも古い衣には合いません。ルカ 5:36
律法学者やパリサイ人は、聖書と神様のみこころから離れて、自分の権威や地位を保ち人々を支配するために偽りの律法主義を教えていました。彼らの律法主義は、イエス様の与える救いと赦し、十字架と復活による新しい契約とは相容れないものでした。
2.ぶどうの木のたとえ話
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。・・・わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。・・・わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。ヨハネ 15:1~5
イエス様は、私たちの弱さを良くご存じなので、私たちがぶどうの枝としてしっかりと木につながって、イエス様と共に生活しなければならないと教えておられます。私たちは、余分な枝を刈り込みされて整えられ、多くの実を結ぶ者に変えられます。
3.ぶどう園の悪い農夫たとえ話
・・・「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。・・・『あれは跡取りだ。あれを殺してしまおう。・・・』・・・『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』ルカ 20:9~19
ぶどう園のたとえ話は、私たちは自分の生き方に対して責任が伴っていることを教えています。クリスチャン、ノンクリスチャンに関わらず、自分の人生だから自分の好きなように生きて良いということはありません。すべての人が神様に対して申し開きをしなければなりません。
彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。Ⅰペテロ 4:5(ローマ 14:12)
4.たとえ話のもう一つの面
・・・わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らが見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、悟ることもしないからです。・・・しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。・・・マタイ 13:10~17
たとえ話は聖書の真理を分かりやすく記憶に留めやすくする反面、分かりにくくするためという理由もあります。反抗心と不信仰と頑なな心の人に真理は隠され、真理を求め信仰をもって従う人には明らかにされます。みことばを柔らかい心をもって聞きましょう。