今日の新約聖書の人物は「ピラト」です。ピラトはローマから派遣されたユダヤ地方の総督です。使徒信条に「・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、・・・」とあるように、イエス様を十字架につけた者として記されています。ピラトは正直で誠実な人物でしたが、保身のために無罪のイエス様を死刑にしました。
1.ピラトは公正な判断をしていた
・・・私がおまえたちの前で取り調べたところ、おまえたちが訴えているような罪は何も見つからなかった。・・・見なさい。この人は死に値することを何もしていない。・・・」 ルカ 23:14,15
ピラトは彼らに三度目に言った。「この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には、死に値する罪が何も見つからなかった。」 ルカ 23:22
祭司長や律法学者たちは、何としてもイエス様を亡き者にしようとしていました。しかし、当時イスラエルはローマの支配下にあったため死刑を決定できるのはローマ総督のピラトだけでした。ピラトは彼らの訴えを聞き、イエス様を取り調べましたが罪は見つかりませんでした。
2.途中までイエス様を助けようとした
ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。 マルコ 15:10 ピラトはイエスを釈放しようと思って、・・・ルカ 23:20
イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」ピラトはイエスに言った。「真理とは何なのか。」・・・おまえたちは、ユダヤ人の王を釈放することを望むか。」ヨハネ 18:37~39
ピラトは告訴する者たちの陰謀を見抜き、イエス様の高潔さと威厳あることばに触れ、さらに妻の訴えを聞いて(マタイ 27:19)イエス様を何とか助けようとしました。そして、最後の切り札として、彼らが極悪非道の囚人バラバよりイエス様の釈放を望むだろうと思って恩赦を提案しました。しかし、彼らはイエス様より囚人バラバを選びました。
3.最後に判断を放棄した
ピラトはイエスを釈放しようと努力したが、・・・「・・・あなたはカエサルの友ではありません。・・・」ヨハネ 19:12
ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」マタイ 27:24
ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。マルコ 15:15
ピラトはイエス様をかばうことによって、暴動が発生し自分がカエサルに背いていると断罪されて総督の地位を失うことを恐れました。真理であるイエス様よりも自分の地位、自分の利益を優先してしまいました。