あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである。
あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない。わたしは主である。
もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行なうなら、
わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、
あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかにあなたがたの地に住む。 レビ記26:1~5
わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。
わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。 レビ記26:11,12
もし、あなたがたがこれらのわたしの懲らしめを受け入れず、わたしに反抗して歩むなら、わたしもまた、あなたがたに反抗して歩もう。わたしはまた、あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを打とう。 レビ記 26:23,24
主は、大いなる哀れみと恵みを持って、私たちを救い出し、求める者と共に住んでくださいます。
しかし、主を愛して主に聞き従うか、偶像を造って主に逆らうかで主の対応が大きく変わってきます。
主のもとには祝福とのろいが備えられています。
しかし、のろいと言ってもそれは主の哀れみです。私たちが主の御心にそぐわない道に行こうとする時に、懲らしめを与えて早く正しい関係に立ち返らせようとする主のやさしさです。
クリスチャンだからと言って、神様と正しい関係にあるわけではありません。いつも、主の御心に沿っているか確かめる必要があります。
キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」 Ⅱコリント 6:15~18
主は、私たちを救い出して神様の家族として暮らそうとしておられます。あなたは、神様の家族となることを喜んでいますか。
聖書に親しみ、お祈りをし、隣人にイエス様のことを伝え、神様に収入の十分の一をお返しし、感謝の献金をささげ、教会の集まりに出席し、兄弟姉妹に仕える。
これらのことを喜んで実行していますか。
主は、喜んで主の命令に聞き従う人を受け入れて祝福して下さいます。
懲らしめののろいが来たら、早めに悔い改めましょう。