「ミナのたとえ」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/28)

 今日は新約聖書のたとえ4「ミナのたとえ」です。「タラントのたとえ」(マタイ25:14~30)と類似していますが、相違点も多くあります。イエス様は、神の国の到来(イエス様の再臨)を、身分の高い人が王位を授かるために遠国に旅立ち、十人のしもべに一ミナ(約百万円)ずつ与えて商売をさせたことにたとえました。先週は、人の身分や行いではなく、神様の恩寵と寛容さによって等しく救いが与えられるお話でしたが、今日は、主のみこころを忠実に行ったかどうかが問われるお話です。

1.神様に対する責任
 さて、彼は王位を授かって帰って来ると、お金を与えておいたしもべたちを呼び出すように命じた。彼らがどんな商売をしたかを知ろうと思ったのである。ルカ 19:15

 身分の高い人は、十人のしもべを集め、彼らが与えられた一ミナ(約百万円)をどのように活用したかを確認しようとしました。それぞれ商売の結果を報告したが、主人を信頼していなかった一人は、しまっておいたために叱責を受け、一ミナを取り上げられてしまいました。神の国の到来とは、神様の前に一人一人の生き方が問われる時であることがわかります。

 ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。ローマ 14:12

2.報酬と刑罰
 『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』ルカ19:17

 主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はおまえのことばによって、おまえをさばこう。・・・』ルカ19:22(ルカ19:27)

 神の国の到来は、それぞれの責任が問われ、審判が下されることが示されています。忠実な者として報酬をいただく者と、叱責を受けてさばかれる者に分かれます。また、イエス様の主権を認めない者、望まない者には死が宣告されています。

 ・・・彼らは世々限りなく王として治める。黙示録 22:5

3.地上での訓練
 人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。Ⅰコリント 4:1,2

 商売をしたしもべそれぞれの成果は違っていましたが、「小さなことにも忠実だった良いしもべ」と賞賛されました。私たちに要求されているのは、イエス様に対して「忠実」であることです。この世でイエス様に従うことを喜びとしていなければ、天の御国でイエス様の完全なるご支配の中に移った時にどうなるでしょうか。イエス様は私たちの罪のためにとりなしをしてくださいます。今は幸いな訓練の時です。

 しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。Ⅰヨハネ 2:1

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