「イエス様の苦しみ」(聖日礼拝メッセージ 2024/12/29)

 今日は使徒の働き25「第3回伝道旅行(3-6)へブル人への手紙」です。 この手紙の執筆年代はAD64~70年で、著者はパウロとされた時期もありましたが、現在は不明とされています。宛先はギリシア語を話すユダヤ人(あるいは、イスラエルのユダヤ人クリスチャン)で、旧約聖書の知識(レビ系祭司職、神殿犠牲)があり、クリスチャンとしての信仰歴が長く、迫害を経験した人たちです。彼らは年数からいけば他の人を教える立場にあるべきでしたが、クリスチャンとしての信仰からかつての教え・習慣であるユダヤ教に後退していたようです。
 手紙はイエス様の優位性を論証しています。

1.神の御子イエス様
 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。へブル 1:3

 御使いが霊的な存在だというだけで、人となられたイエス様を御使いより低い者としてはなりません。御使いは神様によって神様と人とに仕える者として創造された存在にすぎません。イエス様は栄光の創造主でありながら、私たちを救うために人となられたお方です。イエス様は、十字架の死によって罪・死・悪魔を滅ぼし、復活・召天されて今神様の右の座に着いておられます。

2.大祭司イエス様
 したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。へブル 2:17

 彼らが後退していた教えは、出エジプトを導いたモーセや神様によって立てられた神様と人との仲保者である大祭司アロンの働きを重んじるものでした。しかし、自分自身の内に罪を持っていたモーセやアロン、大祭司は私たち人間の罪を完全に拭い去ることはできません。罪のないイエス様だけがすべての人の罪を聖めることができる唯一のお方です。

3.励まし
 さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。へブル 4:15(へブル 2:18)

 彼らは信仰によってイエス様の救いを受けて信仰生活を送っていたにもかかわらず、元の考え方・宗教に戻ろうとしていました。私たちはイエス様を信じてスタートしたイエス様・信仰・教会・みことば中心の生活から元の未信者の時のこの世中心の生活に知らないうちに戻ってはいないでしょうか。支えてくださるイエス様に信頼してイエス様中心に生きましょう。

 兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。へブル 3:12(へブル3:18,19,4:11)

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