信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。 ヘブル 11: 1
「信仰」とは実際に見ていなくても、私たちに確信や喜びや正しい生き方を与えるものです。そして、神様は「信仰」を大変喜ばれます。それは、神様と私たちが「信頼」という絆で結び合わされるからです。「信仰」によってたくさんの素晴らしいものをいただくことができます。
1.天地創造が神様によってなされた。
2.神様に喜ばれるものをささげることができる。
3.目に見えない神様に従うことができる。
4.神様の奇跡を見ることができる。
5.死後に希望を持つことができる。
6.罪のはかなさよりも義のための生き方を選べる。
7.救いを受けることができる。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 ヘブル 11: 6
イエス様は信頼すべきお方、すべてを信じて良いお方です。そのイエス様が私たちに「私を信じて下さい」と「信仰」を求めておられます。「信仰」とは従うことです。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 ヘブル 12: 1,2
「信仰」を自分のものにしたい人、深めたい人は、信仰の源であり、模範者であるイエス様を見続けましょう。