叫び求める信仰(礼拝メッセージ2011/11/06)

 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。
 すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
 そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。
 すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」
 彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
 イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。                   マタイ 20:29~34
 
 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。  マルコ 10:46

 彼の名はバルテマイ。彼が「ダビデの子よ。」と叫んだ時、イエス様がダビデの子孫として来られたメシヤ、自分自身の救い主であると信仰告白しています。

 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。      ルカ 18:42,43

 彼にはイエス様が救い主でありいやし主であるとの確かな信仰も持っていました。
 「私をあわれんでください。」とは「私をかわいそうと思ってください。(詳訳)」ということです。この叫びには自分自身の罪を認めて救ってほしいとの思いがあります。
 周りの人々から強力に反対されても、救い主イエス様に救いといやしを求める心の叫び、強い意志がありました。
 憐れみ深い主イエス様は、強い意思を持って熱心に御自身求める者にはっきりと応えて下さいます。
 「叫び求める信仰」こそイエス様を動かす信仰です。
 私たちはいい加減な信仰、そこそこの信仰に留まっていないでしょうか。
 霊的な飢え渇きを持って主イエス様に叫び求めるなら必ず応えられます。そして、主の栄光が我が身に注がれ、周囲の人たちが救い主イエス様を讃えるようになります。

 

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