「審判(1)」(聖日礼拝メッセージ 2025/09/28)

 今日のテーマは黙示録22「審判(1)」です。黙示録では神様の厳しいさばきが描かれています。神様の審判とはどのようなものでしょうか。私たちはどのように神様の審判を迎えれば良いのでしょうか。

1.神様はすべてのわざをさばかれる
 結局のところ、すべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。伝道者 12:13,14

 伝道者の書の著者であるソロモン王は、神様によって王の威厳と富と繁栄と英知が与えられ、あらゆる分野で成功を収めました。また、自分の心のおもむくままに快楽を追求しましたが、空しさだけが残りました。彼は人間にとって最も大切なことは、神様の命令を守ることだと結論を出しました。

2.酸いぶどうと毒麦
 今、エルサレムの住民とユダの人よ。さあ、わたしとわがぶどう畑との間をさばけ。わがぶどう畑になすべきことで、何かわたしがしなかったことがあるか。なぜ、ぶどうがなるのを心待ちにしていたのに、酸いぶどうができたのか。イザヤ 5:3,4

 人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。マタイ 13:41~43

 神様は私たちにいのちとすばらしい環境を与えてくださり、いつも真実を尽くしてくださいました。しかし、酸いぶどうと毒麦に象徴されるように、神様のみこころに反してイスラエルの民は、神様を捨てて偶像礼拝を最優先にしました。イエス様の時代の人々も救い主であるイエス様を拒んで不法を愛しました。現代はさらに神様に対する反抗が世の中でも教会でも加速しています。

3.審判とは
 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。マルコ 12:30

 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。Ⅰヨハネ 3:4

 自由があるところには責任があります。もし私たちがロボットのようにプログラミングされたとおりにしか行動できないものであれば責任はなかったでしょう。また、ルールがなければ審判もありません。しかし、ロボットであれば人格も喜びも感動もありません。私たちは神様によって人格ある者として創造され、自由とルールが与えられました。私たちは、神様を愛し、隣人を愛するために創造された存在です。神様はルールに従って最終的にすべてのものを正しくさばかれます。私たちはイエス様の救いをいただいた者として、御霊の実を結ばせていただきながら歩み続けていきましょう。

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