良いわざに励む心を育てる信仰の言葉(礼拝メッセージ2012/03/04)

 これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。     テトス 3: 8

 私たちがイエス様の尊い命によって救い出されたのは「良いわざに励む」ためです。バプテスマが救いのゴールであれば、その時点で天に召されるか、享楽の人生を歩むのが最も賢い選択でしょう。しかし、みことばは「イエス様に似た者となる:良いわざに励む」生き方を追い求めるように勧めています。
 今は、クリスチャンの間でもイエス様とみことばが軽視され、信仰が見られなくなっている自己中心の時代です。イエス様に仕えることも、兄弟姉妹に仕えることも、弱っている隣人も軽んじられ、自分の家庭だけを大切にするマイホーム主義、自分の満足だけを求める自己実現主義が横行しています。
 私たちのまわりには、「良いわざに励む心」を育てる信仰のことばと、堕落させようとする不信仰のことばで満ちています。

・「良いわざに励む心」を育てる信仰のことば
 
 信仰義認                  (テトス3:5)
 聖霊内住                  (テトス3:6)
 永遠の命、神の相続人 (テトス3:7)
 支配者に従う       (テトス3:1)
 旅人をもてなす      (テトス1:8)

・堕落させる不信仰のことば
 
 愚かな議論     (テトス3:9、テモテ1:3~7)
 分裂分派       (テトス3:10)
 反抗的        (テトス1:10) 
 不正な利得     (テトス1:11)

 パウロは、自分自身の以前の姿、きよめられる前の姿をしっかり認識しつつ(テトス3:3)、救われてイエス様と共にあるすばらしい生き方が与えられていることを、あわれみと厳しさによって示しています。
 もっともらしい甘いことばに惑わされないようにしましょう。 自己中心の心の中をのぞいてみると、心の王座に自分自身がしっかりとすわっているのが見えます。心の王座には主イエス様に座っていただきましょう。

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