「帯と土とビン」(礼拝メッセージ2012/11/25)

 私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。        エレミヤ 13: 7

 わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。      エレミヤ 13:10 
 
 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。   エレミヤ 18: 6 

 そこであなたは、同行の人々の目の前で、そのびんを砕いて、
彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を砕く。人々はトフェテに葬る余地がないほどに葬る。  エレミヤ 19:10,11

 神様はエレミヤに不思議な行動をとるように命じられました。帯を買わせてユーフラテス川の岩の間に隠させ、腐った頃に取りに行かせたり、陶器師の作業を見せたり、びんを買わせて人々の前で砕かせたりしました。
 反逆の民は、預言者エレミヤを無視したくても、それらひとつひとつの行動が気になりました。神様が悔い改めによる赦しと裁きとを語っておられるからです。イスラエルの民は、王や指導者から国民に至るまで、真の神様を捨ててバアル崇拝をやり続けました。神様の愛を無視して、神様を愛する信仰の道を捨ててしまったのです。
 神様は、私たちに兄弟姉妹に仕えるように命じておられ、兄弟姉妹に仕えることがイエス様を愛することだと言われます。自分の教会の兄弟姉妹との交わりを軽んじて、自分の望むことを行うことは、イエス様との交わりを軽んじることです。
 私たちも嫌がらずに、イエス様のように兄弟姉妹の給仕をする者になりましょう。神の家族、信仰の家族に特に善を行いましょう。兄弟姉妹を避けることは、イエス様を避けることです。そこには自分を愛する愛はあっても、イエス様を愛する愛はありません。

 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。ルカ 22:27
 
 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。    エペソ 2:19

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