「弱さを担われる主」(礼拝メッセージ2014/10/05)

イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。そこで、主は7年の間、彼らをミデヤン人の手に渡した。こうして、ミデヤン人の勢力はイスラエルを押えたので、イスラエル人はミデヤン人を避けて、山々にある洞窟や、ほら穴や、要害を自分たちのものにした。士師 6: 1: ,2

主は、イスラエル人の罪に対してミデヤン人を用いて彼らを懲らしめ、悔い改めと信仰を引き出そうとされました。そして、預言者と御使いを遣わして直接働きかけられました(6:7~12)。
主は、臆病で疑り深いヨアシュの子ギデオンを士師として召されました。ギデオンは主の召しに対して不平不満を言い、尻込みして証拠としてのしるしを求めました(6:12~17)。彼は、示されたしるしによって、次第に主に対する信仰を持つようになりました(6:22~24)。しかし、依然として臆病な気持ち(6:27)と疑り深さ(6:36~40)は変わりませんでした。
彼は、2回目の証拠としてのしるし(6:36~40)と敵兵の夢(7:13~15)によって確信を持ち、主によって選ばれた300人の精鋭部隊とともに奇妙な戦略によって、ミデヤン人を大敗走させて勝利を得ました(7:19~23)。ギデオンとイスラエル人は、一連の出来事を通して、自分たちの不信仰の罪を知らされ、主のあわれみと赦しを経験しました。
主は、私たちの弱さを十分にご存じの上で、悔い改めと信仰を引き出し、共にいて幸いな道へと導いて下さいます。

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。Ⅱコリント12: 9 (へブル 4:14,15)

そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。 士師記 17: 6(21:25)

士師の時代も今も、みことばに従わない自己中心の罪がすべての問題の根本原因です。人が、主イエス様にではなく自分中心に陥ると、みことばから離れていきます。主が立てた秩序に従わず、主日礼拝・主の集まり・伝道・主への返金(什一献金)・みことば・祈りなど霊的なことすべてにおいて無頓着になり、主と隣人への愛が冷え、自分を正当化して安心します。
主は、私たちがその罪を離れて、主に信頼し、従うことを求めておられます。信仰によって私たちにはそれが可能です。

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