「友とは、すべての人が離れ去ったときに、
駆けつけてくれる人のことだ。」(デイリーブレッド2/8)
友とはどんな時も私たちを助け、励まし支え、いろいろな影響を与える存在です。また逆に、私たちも相手にいろいろな影響を与える者です。
聖書には「友」についていろいろ記されていますが、「本当の友」とはどのような存在なのでしょうか。
1)神様の友
アブラハムは神様を信じる信仰によって義と認められ、神様の友と呼ばれました。私たちも同じように信仰によって神様の友です。
そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。 ヤコブ 2:23
わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 ヨハネ 15:15
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 ヨハネ 15:13
イエス様は私たちのために命を捨てて下さった真の友です。どんな時でも決して私たちを離れず、捨てない真実な方です。
2)私たちも真実な友になる
思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。 Ⅰコリント 15:33
友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。 箴言 17:17(箴言27: 9,17)
私たちが真実を尽くすべき友は、イエス様が「互いに愛し合いなさい」と言われた信仰の友・兄弟姉妹です。苦しみを分け合い、互いに仕え合い、信仰を育むために、今ここに置かれています。世の友ではなく、主の友になりましょう。
貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。 ヤコブ 4: 4