もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。
もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。
私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。 詩篇 94: 17~19
私たちは、気落ちしやすい者です。モチベーションを保ち続けて行くことに困難を感じやすい者です。心身ともに疲れ果ててフラフラになることもあります。思い煩いで滅入ることもあります。チョッとしたことで喜び、チョッとしたことで落ち込みます。
それは、「結果が見えないことから来る不安」「自分の思い通りにならないことから来る不満」「主のみこころに従っていないこと」「思い違いをしていること」から来ます。
主イエスさまは、私たちを心底愛しています。私たちの思いと行いをすべてご存知であられ、慰めと励ましを与えようとしておられます。
私たちを本当の意味で支えてくださるのは、主の助け、主の恵み、主の慰めです。
これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。
詩篇119:50
主のみことばだけが、私たちを慰めて力づけて下さいます。ほかのいかなるものも本当の意味で私たちを慰めて正しい道に導くことはできません。
落ち込んでしまって「聖書も読みたくない」「祈りたくない」「教会に行きたくない」と投げやりになりそうな時こそ、主のみことばである聖書を開きましょう。「1日1章」でも事務的でも機械的でもいいですからみことばに触れましょう。みことばがあなたを慰めてくださいます。
このことを、心から信じて受け入れ、信仰の告白をして感謝しましょう。
ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。
このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。 Ⅰテサロニケ 3: 6~8
主の慰めとともに、私たちの信仰の歩みが兄弟姉妹を励ますことになります。パウロ兄弟は開拓伝道と福音宣教の働きをしていましたが、苦しみと患難の真っ只中にいました。
その時、自分が生み出した教会の兄弟姉妹の忠実な信仰と助けによって慰めと励ましを受けました。
日本では、クリスチャン人口が1%未満と言われています。しかも、きちんと教会に集っているクリスチャンはさらに少なくて0.2%だそうです。
私たちが、教会で愛する兄弟姉妹に仕えることは、イエス様に仕えることです。私たちの忠実な信仰生活によって多くの兄弟姉妹が励まされます。 あなたこそ主の祝福の基(もとい)です。