あなたは自分のことや隣人のことをどのように思い、どのように評価していますか。私たちは、みことばを信じていると言いながら、間違った基準によって判断してしまうという過ちに陥りやすい者です。イエス様がおっしゃられたように、神様の判断・評価こそ真実で正しい評価です(マタイ16:13~17)。
1.人との比較
人の評価を気にした生き方やある役割を演じる生き方は、すべて、みことばに根差した自尊心の欠如から発しています。
2.自分の判断
みことばから離れてしまうと、みことばより人の意見を信じてしまったり、完璧主義(今あるものではなく、ないものに心が奪われる。できていないと愛されない、価値がないと考える)に陥ってしまいます。
3.神様の判断
主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。エレミヤ31:3,4
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 ローマ 5: 8
アポロや私を、・・・キリスト様の家来と考えて下さい。ところで、家来にとって一番大切なことは、主人の命令に従うことです。さて、私の場合はどうでしょう。良い家来だったでしょうか。この点に関して、あなたがたがどう考えようと、また、ほかの人がどう思おうと、私は少しも気にしません。この件については、自分の判断さえ、信用していないのです。良心にやましいところは、さらさらありませんが、だからといって、安心しきっているわけでもありません。調べた上で判断をお下しになるのは、主ご自身だからです。Ⅰコリント 4:1~4(LB訳)
パウロは、人の評価を気にしない、自分の判断も信用していないと明言し、ただ神様の家来として忠実に歩むことを目指し、神様がどう判断されるかに焦点を当てています。
人の評価は変わりやすく、自分の判断は自己中心に陥りやすいからです。神様の判断(みことば)こそが唯一正しいものであり、信じて従って良いものです。