いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ人への手紙 4:4
パウロは、自らが囚われの身となって、獄中という大変な状況にありながら、なぜそこまで自らが喜び、しつこいくらいに「喜びなさい。喜びなさい。」と命じているのでしょうか。
1.「喜び」の根拠
私たちには主イエス様の十字架と復活による救いが与えられています。主イエス様の十字架を信じないで、地上のことだけを考えて自分の欲望に従う人は、永遠に滅ぼされてしまいます。
1)私たちの国籍は天にある。 ピリピ 3:20
2)主は近い。〈主はすぐにおいでになります。詳訳〉ピリピ 4: 5
3)神様の平安がある。 ピリピ 4: 7
2.主にあって
パウロが命じているのは、あくまでも「主にあって」ということが前提です。主のみことばと約束、主に対する服従抜きの、自分中心の歩みでは
到底喜ぶことはできません。「主にある」とは次の生き方です。
1)主のみことばと約束を信じる
2)主の弟子に倣う生き方 ピリピ 3:17
3)主に頼る ピリピ 4: 6
3.第2のパウロに
人は、自分の思い通りに生きられれば、いつも喜んで生きられると思いがちです。しかしそこには、不平不満と相手のせいにする悪意しか生まれません。
パウロは「私に倣いなさい」と言いました。パウロに倣うとパウロのように、逆境の中でもイエス様を仰ぎ見て喜ぶ人になることができます。そして、そのような人は、逆境の中で意気消沈している人に、「私に倣ってください」と励ますことができます。
逆境の真っただ中でも、主のみことばと約束を信じて喜ぶことは、信仰の歩みにおいてとても安全な道です。そこには、不平不満、不信仰、みことばに従わない自分勝手な歩みなどの入り込む隙がないからです。
私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。 ピリピ 3:1
主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 詩篇 37:4