民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに告げて仰せられた。
「民の中から十二人、部族ごとにひとりずつを選び出し、
彼らに命じて言え。『ヨルダン川の真中で、祭司たちの足が堅く立ったその所から十二の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。』」
そこで、ヨシュアはイスラエルの人々の中から、部族ごとにひとりずつ、あらかじめ用意しておいた十二人の者を召し出した。
ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真中の、あなたがたの神、主の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。
それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか。』と聞いたなら、
あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」 ヨシュア 4: 1~7
主は、イスラエルの民がご自身の行なった大いなる救いのわざをしっかりと覚えておくようにと12の石を記念とされました。
主がイスラエル民族にどれほど大きなことをなして下さったのかということを、彼らはおりにかなって思い出しました。信仰が揺るぎそうになった時、不信仰が頭をもたげた時、大きな決断をする時、この記念の石を見て主に立ち返りました。そしてこれは、代々子どもたちに語り継がれていきました。
私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。 Ⅰコリント 10:16~17
あなたが救い主イエス様の十字架と復活を覚え、イエス様のすばらしさを讃えるのは毎週の聖餐式でパンとぶどう酒に与るときです。これもまた主から与えられた記念です。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 詩篇 103: 2
あなたがイエス様から恵みをいただいて救われた日、悔い改めた日、決心した日、信仰の記念日を忘れないようにしましょう。
また、その啓示があまりにもすばらしいからです。私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。 Ⅱコリント 12:7
パウロ兄弟は第三の天に昇る不思議な経験をしました。それは信仰の道しるべとして十分過ぎたかもしれません。しかし、高ぶることのないように与えられた肉体のとげが彼を信仰の深みへと導きました。
私たちの信仰の失敗や主からの懲らしめも大きな信仰の道しるべとなります。
「主が最善をなしてくださる」ことを信じて「信仰の記念碑」「信仰の道しるべ」にいつも立ち返りましょう。