そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 ヘブル 10:22~25
私たちの救いは、イエス様の確かで唯一の犠牲が根拠となっています。この揺るがされない根拠のゆえに兄弟姉妹がお互いに勧め合うことがらをイエス様は示しておられます。
1.イエス様の体がささげられることによって、私たちは聖 なる者とされた。 ヘブル10:10
2.動物のいけにえは、罪を除き去ることができない。 ヘブル10:1,4,11
3.イエス様は永遠のいけにえをささげ、よみがえられた。 ヘブル10:12
4.イエス様は信じる私たちの罪を完全に消し去って下さった。(聖霊様の証し) ヘブル10:14~18
5.私たちはイエス様によって神様と和解できた。 ヘブル10:19~22
また、互いに勧め合って、どのようにしたらほかの人を愛し、助けてあげることができるかということについて、心を配ろうではないか。
こうして、集会に出ることを怠るような人たちに倣わず、お互いに励まし合い、主が再び来られる日が間近であることを知って、ますますそうしようではないか。 ヘブル10:24,25(現代訳)
どうしたら隣人を愛し、助けられるかを助言し合って互いに勧め、教会出席を励まし合うことをイエス様は勧めておられます。
新約聖書に「教会」ということばは、100回ほど登場しますが、そのうち98回は「目に見えない普遍的教会」ではなく「自分の属している目に見える教会」を指しているそうです。
「勧め合い」それは、同じ信仰を持ち、イエス様を頭とする地域教会に属する愛する兄弟姉妹にのみゆるされた愛に満ちた特権です。