ところが、みな同じように断わり始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断わりさせていただきます。』 もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断わりさせていただきます。』また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』 ルカ 14:18~20
イエス様は、神の国で食事をする人の幸いを話されました。食事をするとは、親しい関係を表します。すべての人が神様に招かれているのに、へりくだって、感謝の心を持って、招きに応じた人は少しの人でした。
断った人たちは、理由にならない言い訳をしています。現代訳には「この人たちの言い分は、皆断る本当の理由ではなく、行きたくないただの口実に過ぎませんでした。20節」とあります。「人は言い訳の天才だ。サタンでさえも驚く。」と言われるとおりです。
人は、自分の望むことであれば、努力をしてどんなことがあっても成し遂げようとしますが、自分の益にならないと思えば、どんな屁理屈でもこじつけて、自分を納得させて自分の思いを貫き通そうとします。(しかし、いくら自分を納得させても、周囲からはもちろん、イエス様にも見え見えです。)
イエス様に服従すること、みことばに従うことに関して「できない言い訳をひたすら捜し求めるのではなく、どうしたらできるだろうかと求める者」が、祝福をいただきます。
あなたは、イエス様の「癒し・奇跡・偽善者をへこますこと・人々からの賞賛」には関心があって近寄るが、イエス様の「苦難・非難や辱めを受けること・攻撃されること・バカにされること」には興味がなくて離れる者でしょうか。
兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。
しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。 ガラテヤ 4:28~29
あらゆる言い訳をして主に従わない「肉に属する人」は、自分が不服従になるだけではなく、自分の不服従を目立たなくするため、「御霊に属する人」の良い働きを妨害して、良い働きをやめさせようとします。
イエス様によって罪から救い出され、新しい生き方を与えられた私たちですから、与えられている自由を主イエス様と兄弟姉妹のために用いましょう。
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。 ガラテヤ 5:13