このように、数えきれないほどの信仰の勇者が、競技場の正面観覧席で、私たちの競技を見つめているのです。だから、スピードを落とさせたり、うしろへ引き戻そうとする力に目を光らせなさい。特に、足にうるさくまつわりついて、つまづかせようとする罪をふり捨てなさい。そして、神様の用意された特別のコースを忍耐して走り抜こうではありませんか。
私たちの指導者であり教師であるイエス様から、目を離さないようにしなさい。イエス様は十字架の死のあとの喜びを知って、恥をいとわず十字架にかかられました。 ヘブル 12:1,2(リビングバイブル訳)
11章に記されている旧約時代の信仰の勇者たちは、自らの生と死を通して、約束のもの(救い・信仰・御国)を目指して歩む生活が可能であることを証明しています。彼らの生涯の記録が私たちを励ましています。
私たちは目標から目を離さず、目標を目指して競技場をひた走るように勧められています。(Ⅰコリント9:24~27)
・競技の障害となるもの:重荷=邪魔になるもの、罪=不信仰
・競技の目標:主イエス様=信仰の創始者・指導者・完成者
イエス様は、どんなにつらくても途中棄権なさらずに、私たちの救われる姿を思い浮かべて、罪人の反抗を耐えしのんで下さいました。
私たちが苦しみを受けるのは、神様が無視を決め込んで顧みてくださらないのではなく、神様からの愛による訓練です。
その上、あなたがたは、神様の激励のことばを、すっかり忘れてはいませんか。神様は、こう声をかけてくださるのです。 「わたしの子よ。主に懲らしめられて、腹を立ててはなりません。主にあやまちを指摘されて、気落ちしてはなりません。主が懲らしめるのは、あなたが憎いからではなく、あなたを愛しているからです。主がむち打つのは、あなたが真に神の子供だからです。」 進んで神様の訓練を受けなさい。 ヘブル 12:5~7(リビングバイブル訳)
私たちは、喜んで主の訓練を受け、イエス様にふさわしく整えていただいて、完走を目指しましょう。(Ⅱテモテ4:7,8)