「燃える蛇」(礼拝メッセージ2014/04/06)

民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。
民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。民数記 21: 5~9

イスラエルの民は、主のみこころを求め、信仰を持ってカナンの町々を征服して間もなく、主とモーセに逆らいました。
エドムの地を迂回する旅の途中で、水や食物(主が与えて下さっているマナ)のことで不平不満を鳴らし、エジプトを恋い慕いました。主は、度重なる民の反抗に毒蛇によって裁きを下されました。
主は、民の悔い改めと懇願に答えて、救いの道を示されました。それは、主のことばを信じ、仰ぎ見て救われるという信仰による救いです。(民の青銅の蛇の誤用。Ⅱ列王記18:4)
民は、少しの困難に忍耐できず、不信仰とさばきとを招いてしまいました。憐れみ深い主は、そんな者にも救いの道を確実に与えて下さいました。

あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」ヨハネ 3:12~15

イエス様は、聖書の教師であるニコデモに対して、旧約聖書の記事を通してご自身の救いを具体的に教えられました。
信仰を持って十字架上のイエス様を仰ぎ見る者は、救われます。人生の迂回路で忍耐を欠いて不信仰に陥った者でも赦されて回復します。

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