ヌンの子ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言った。「行って、あの地とエリコを偵察しなさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家にはいり、そこに泊まった。 シュア 2: 1
イスラエルの民は、ヨシュアを指導者として約束の地カナンに入り、エリコを攻略すべく2人の斥候を遣わした。彼らは、遊女ラハブによってかくまわれ、敵の兵士の追跡から逃れた。ラハブは、異邦人でありながら神様に対する信仰を持っていた。
私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。 ヨシュア 2:11(6:25)
サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、 マタイ 1: 5~6
ラハブは、遊女であったが神様に対する信仰によってイエス・キリストの先祖となり、その信仰は後世まで伝えられ、世界中に知られている。
信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。 へブル 11:31
神様は、人を分け隔てなく救い、祝福して下さいます。ラハブは、自分の信仰を行いによって表しました。口先だけの信仰は、信仰ではありません。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われ、生き方によって信じていることを表明します。
人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。 ヤコブ 2:24~26