「主が戦っておられる」(礼拝メッセージ2014/08/03)

主はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。ただし、その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町のうしろに伏兵を置け。」ヨシュア8: 1~2

聖絶の罪ゆえに攻略できなかったアイの町を、主は、エリコ同様にヨシュアの手に与えたと約束された。主は、先隊と伏兵による挟み撃ちによって、イスラエルに勝利を与えられた。
悔い改めと信仰による主への服従が、主からのアイディアによる勝利をもたらした。

主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」・・・・彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。・・・・急がなかった。主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。 ヨシュア 10: 8~14

主は、ヨシュアに約束のみことばを与えられた。ヨシュアは、
みことばを信じて戦い進んだ。しかし、雹の石や時間を止める奇跡など、この戦いが主の戦いであり、主の勝利であることをことごとく示していた。
私たちの戦いも主の与えて下さった武具による戦いです。


私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。   エペソ 6:12,13

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