「主の現われ」(礼拝メッセージ2014/12/28)

主が三度目にサムエルを呼ばれたとき、サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので。」と言った。そこでエリは、主がこの少年を呼んでおられるということを悟った。それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。    Ⅰサムエル 3: 8~10

この時代は、霊的に低迷していた時でした。祭司エリと息子たちは主のみこころを損ね(3:12~14)、主のことばも幻もありませんでした。しかし、主のみこころにかなった少年サムエル(12歳?)に主が現われ、エリと息子たちを退けて(4:11,14~18)、サムエルを新しい預言者に任命しました(3:19~21)。
エリは、祭司でありながら息子たちを戒めず、罪を容認するという罪を犯してしまいました。一方サムエルは、少年でありながら純粋な信仰を持って主に仕えていました。そんなサムエルに語られた主のことばは、自分の師であり親代わりでもあるエリと息子たちへの裁きでした。サムエルは、最初から預言者の働きの厳しさを思い知らされました。

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 エペソ 1: 3

聖書は、すでに神様がイエス様によって私たちに、この上ない(天にあるすべての)霊的祝福を与えて下さったと教えています。しかし、それは信じて受け入れ、感謝していなければ自分のものとはなりません。イエス様は、心のきよい者が神様を見る(マタイ5:8)、と言われました。イエス様によって心がきよめられ、純粋に主を求める者に現れて下さいます。
きよめられることを求め続けましょう。きよめられるとは、自己中心の心を捨てて、主のみこころが成るように祈り続けることです。そのような思いがなければ、「主よ。お話し下さい。しもべは聞いております。」と祈ることはできません。

キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。   Ⅰヨハネ 3: 3

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