「真実を尽くすダビデ」(礼拝メッセージ2015/03/15)

ダビデは荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。ダビデは、サウルが自分のいのちをねらって出て来たので恐れていた。そのときダビデはジフの荒野のホレシュにいた。Ⅰサムエル 23:14,15

ダビデには彼を慕う多くの者や家族がいましたが、サウル王に命を狙われていたため、荒野をさまよう逃亡生活を余儀なくされていました。

ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ。』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。 Ⅰサムエル 24: 4

私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」 Ⅰサムエル 26:11

ダビデは、二度にわたってサウル王を倒すチャンスがありながら決して手を下すことはしませんでした。サウル王を倒しさえすれば、①仲間や家族を危険な目に遭わせることもなくなり、②自分は晴れて王になることができ、③神様のご計画を成就することになるにもかかわらず、そうはしませんでした。
あくまでもすべてを神様にお委ねして、自らはどんなに不都合があってもただただ忠実に歩みました(Ⅰサムエル26:10)。

パウロもアンテオケの会堂で、ダビデの誠実さについて証ししました。

・・・・このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』     使徒 13:22(使徒 13:36)

主は、私たちにも主ご自身を信頼して、どんな時にも、自分が不利になっても、自分が損をしても、誤解を受けても、嫌がられても忠実に歩むように求めておられます。

善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。 ガラテヤ 6: 9,10
(Ⅱテサロニケ3:13、Ⅰペテロ4:19、黙示2:10)

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