ところが、〈あまりにも忙しくしていた〉マルタは、いろいろなもてなしのことで心を取り乱し、イエスのところに来て言った、「主よ、妹が私ひとりだけにもてなしをさせているのを、あなたはなんとも思われないのですか。手伝いをするように、〈私に手を貸して、私といっしょに自分の分をするように〉妹に言いつけて下さい」。しかし、主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くの事に気を配って思い悩んでいるが、必要なものは〈ほんの少しだけ、いや〉ただ一つだけである。マリヤはよい分〈益になるもの〉を選んだのだ。それは彼女から取り上げてはならないものである」。ルカ10:40~42
聖書で有名な箇所です。マルタは大切なお客であるイエス様をもてなす事に心奪われ、本当に大切なことを見失っていました。
マルタの心の内はどうだったのでしょうか。
1)イエス様を手厚くもてなしたいとの立派で純粋な思い。
2)自分はこれくらいおもてなしをしないと気が済まないという自己満足の思い。
3)自分のおもてなしをイエス様にも周りの人にも認められたいという見栄の心。
どちらにしてもマルタは思い違いをしていました。
1)自分の思いだけに捕われて、心を取り乱していた。不要な多くの事に気を配り過ぎて思い悩んで(煩って)いた。
2)恐れ多くもイエス様に対して「あんた、この状況、何とも思わないの。いったい何を考えてるの。いつも良いことばっかり言ってるくせに。どういう教育受けて来たのさ。さっさとぐうたらな妹をなんとかしてよ。」と言う始末でした。
3)マリヤからよい分・益になるものを取り上げようとした。
4)マルタは自分自身の受けるべきそのよい分・益になるものを自分から受け損ねていた。
イエス様は、マルタのいらだちをやさしく包んで諭して下さいました。「本当に必要なものは多くはない。いや、ひとつだけです。」それは、イエス様の御前に静まって、みことばに聞き入ることです。
私たちは、日々忙しく、あれもこれもやらなくてはと思い込んでいます。しかし、本当に大切なものは少ないようです。それを一番にしましょう。人からも自分からも、それを取り上げてはいけません。 (ヨハネ6:27、詩27:4)
その後、マルタは信仰によって兄弟ラザロのよみがえりを目の当たりにします。(ヨハネ11:17~46)