「どんな境遇でも満ち足りる歩み」(礼拝メッセージ2016/07/17)

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 ピリピ 4:11~13

私たちには自分が思い描く理想的な人生があります。しかし、現実的にはなかなかかなわないことのほうが多いものです。もし、自分が思い描かない人生やいかなる状況の中にあっても、満ち足りることができればどんなに幸いでしょうか。そうすれば、不平不満で自分自身の心が荒廃したり、周囲の人に嫌な思いをさせたりすることはないでしょう。
パウロ兄弟は、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」「満ち足りる(心乱されたり不安になったりしない)ことを学んだ(習得した)」と言っています。それは、みことばの約束という前提があるからです。

1)イエス様の救いと恵みは十分。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。・・・私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。Ⅱコリント12:9~10

2)聖霊様が共にいて下さる。 ヨハネ14:16

3)霊の父は益を図る。 へブル12:10

4)この世の境遇は儚(はかな)く過ぎ去る。
貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。                ヤコブ 1: 9,10

5)イエス様の再臨がある。 Ⅰペテロ4:13、ローマ8:18

偉大な使徒パウロ兄弟であっても、満ち足りることを様々な経験と時間の経過によって学ぶ(習得する)必要がありました。超エリートの彼でしたが、イエス様に従うことによって被る迫害、侮辱、貧しさ、誤解の中でも平安がありました。私たちも学ばせていただきましょう。

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