「みことばにとどまるなら」(礼拝メッセージ2017/01/22)

イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」   ヨハネ 8:30~32

「イエス様の言動を見て多くのユダヤ人たちが信じた」と記されているが、それは表向きのことであって、彼らは心底から信じていたわけではありません。それを証明するように、イエス様からは「罪の奴隷、悪魔から出た者」(ヨハネ8:34,44,47)と言われ、彼らは反発してイエス様を殺そうとしました(ヨハネ8:37,40,59)。

イエス様は「私のことばにとどまるならば〈私の教えを堅く保つ《教えに従って生きる》ならば〉、あなたたちは真に私の弟子である。」(ヨハネ8:31詳訳)と言われました。

ユダヤ人たちは、イエス様に自分を全く委ねることをせず、ほかのものに頼っていました。それは彼らの「偶像」です。彼らの偶像は、「選民意識、先祖、伝統、律法、宗教儀式、自己義認(サマリヤ人を非難)」でした。それらは人を外側から規定する律法への奴隷的服従(罪の奴隷)となります。(ヨハネ8:33,39,41)
イエス様は彼らの高慢に厳しく対処されましたが、それは彼らをやり込めるためではなく、形だけの信仰や形式的な宗教は罪の奴隷(自己中心)から人を解放することはできないことを教えるためでした。しかし、彼らはへりくだってイエス様のみことばに聞き従おうとはせず、自分たちの考えが否定されたことに対して猛烈に反発してイエス様を悪魔呼ばわりして殺そうとしました。
人は自分自身の義、立場、プライド、主張、考えなどを振りかざしている限り、霊的な奴隷状態から解放されることはありません。自分の真の姿、奴隷状態であることを認めて、そこから救って下さる唯一の救い主イエス・キリスト様を信じてそのみことばにとどまることです。みことばにとどまるとは、教えに従って生きることです。自分の思いに従って生きることではありません。その真理が自由を与えます。(ローマ8:2、Ⅱコリント3:17)

キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。ガラテヤ5:1(エペソ2:8,9)

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